ネバーランドをもう一度

仕事、プログラミング、たまの読書にポエムを添えて

仕事が始まって1か月のアウトプット

新しい仕事がはじまって1か月たった感想

1か月時点の自分の立ち位置としては、正直悪いと思う。 ただそんなウジウジした自己評価を続けていることが本当に生産性を上げるのかどうかとかも含めて、何を反省してどういうことを考えているかということを書いておきたくて。

アウトプットについて

最近いろんな記事で、何かを覚えるにはインプットとアウトプットの比を1 : 1に近づけるといいよって書いてあったりする。人間生きてて1 : 1は原理的に無理なんじゃないかと思わないではないが。

これは受験期にもぼんやり感じていたことだし、中のいい一番成功してる友人がI/O比を限りなく1 : 1にしてるのを見て、重要性自体はわかっていたつもり。

特にエンジニアにおいて、本を読んでわかった気になるのと、少しでも自分で書いてエラーを起こしたりしてみる(それがたとえつまらないtypoであっても)のとでは全然違う。

じゃあやればいいじゃん、って感じなんだけど、そういう言い方したらやらないよりやったほうがいいことが世の中には溢れているから、もうちょっと丁寧に考えたほうがいい。

できない理由

アウトプットって、案外難しい。日記なんて三日坊主の代名詞みたいなものだし。その割に、書こうと思えばとりあえず1行のテキストを書くのは難しくないし、人間生きてればちょっとはしゃべるし、そのハードルの高さを認識できてない人はとても多い。

人間が根深く抱えている、自分の考えを外に晒すことへの恐怖とか抵抗感というものを甘く見てはいけないし、書き出すだけでさらさない場合には自分のためだけにやることを継続することとの難しさもかなりのものだ。 とか書いてるけど、正直この辺への考察は今回全然練れてないし、本題じゃないので飛ばす。

加えて、よくある勘違いというか、自分への言い訳に使ってしまうこととして、インプット→自分の頭で考える→アウトプットというプロセスのうち、真ん中をちゃんとやってるからアウトプットのようなものじゃん、みたいな考え方があると思う(僕だけではないと思いたい)。

これは良くないやつで、考えるという行為は結局アイディアを外には出してないので、外向きに何かをする練習には全くならない。

そう、アウトプットをすることは、 素振りみたいなもの で、もちろんイメージトレーニングのトレーニングがしたいなら止めないが、最終的な目標が人に伝えたり形に残る何かを作ったりすることなのであれば、きちんと吐き出すところまでを練習しないとあんまり意味がないのだ。

そして 素振り に例えたとおり(この例えほんと好き)、繰り返して体に染み付かせていくことがアウトプットを習慣にすることの一番の目的であり恩恵であると思う。日頃からアウトプットしておくことで、とっさのときにパッと言葉が出たり、コードが書けたりするようになるはずなのだ。

なんで急に意識し始めたのか

新しい仕事が始まってみて、思った以上に自分が萎縮してしまって、意見や質問を発信することができなくなってしまっていることに気づいたのだ。

いや、ほんとに話せない。怖い。なんて言ったって、自分の100倍の戦闘力のある人達に囲まれて、なんか言ったときの(そんなことも知らないの?)みたいな目を想像すると凍ってしまう。

それはそれとして、自分の解決したい課題なんだけど、ちょっとまだまとまらないから一旦おいといて、、

萎縮してしまうのはそれはそれとして、そういうプレッシャーの中でリソース(認知資源っていうらしい)を削られた結果、ただ萎縮するだけでなく そもそも自分の中に言葉が浮かんでこなくなっている ことに気づいたのだ。

もちろん、萎縮してるのが一番大きな原因なんだけど、それをすぐにどうにかするのが難しいときに、別の方向からアシストするのはありなんじゃないかと思ったのだ。

んで、アウトプット。これを素振りのように練習することで、まず「言いたいことはあるけど言えないこともある」というところまで回復したい。これが、突然アウトプットどうこうを意識し始めた理由だ。

何からやんの?

とりあえず、なんでもいいから考えたこととか書いていこうかな。実際evernoteには週1〜2で最近書きはじめてるんだけど。

ここでいきなり、Goの練習するぜ、とか、OSS読んでメモするぜ、とか言い始めると絶対挫折するんだよね。プログラミングの練習のためのアウトプットもしていかなかきゃなのはもちろんだけど、まずは頭はたらかない問題をどうにかしたいから、ふつーにアイデア系アウトプットをガンガンしていく所存。

がんばるぞい。

コミュニケーションについて

新しい会社に入って、自分のコミュニケーションの特徴について考えることがいくつかあったので忘れないうちに書いておく。

察するコミュニケーション

最近もてはやされない、相手の言いたいことを察しつつ話すやつ。昔は美徳とされてて、今もそこそこ重宝されるんだけど、最近察してちゃんである自分の面倒くささに嫌気がさしてる中で、新しいチームの人達が真逆のコミュニケーションをしてて、ほう、これが、と思った。

まあ要するに、言いたいことは言え、相手のことは察するな、なぜなら相手は相手で言いたいことがあったらちゃんと言ってくれるからだ、というもの。嫌われる勇気に書いてあった、「自他の問題を切り分け、自分にできることだけを考えろ」というのと大体同じことで、アサーティブ・コミュニケーションとかアサーションとかいうのとも一緒だと思う。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

プログラムでいえば、察するコミュニケーションというのは圧倒的に密結合なわけで、責任と役割を分担できる疎結合な関係のほうが仕事として健全だというのはなんとなくわかる。ような気がする。これはすごいいいたとえだ、と思っていたんだけど眠い頭で検証ができてない。まあいいや。

疎結合というと、人間関係においてほんとにプラスなの?と思われるかもしれないけど、密結合になった人間関係って要するに共依存な状態で、 相手を自分の体の一部のように思い通りに動かそうとしてしまう。でも人間ってどれだけ察する能力が高くても他人と脳みそまで共有してるわけじゃないので、最初うまく行ってもだんだん齟齬がでてきて恨み合うようになっていってしまう。

前職の社長とがまさにそうで、こっちは察する、相手は甘え上手で察してもらうことに慣れきっているという中で、こっちがどんどんしんどくなってしまった。

だから逆に、パートナーとはそうならないように気をつけている。お互い察する型の人間だからこそ、行き違ったときにはアサーティブなコミュニケーションをしようね、という合意をしてあり、何ヶ月かに一回喧嘩するときには、分かってるつもりみたいなのを極力排してお互いの意見をターン制みたいに言い合って聞きあうようにしている。

自分の察する能力には自信があり普段から認めてもらっているが、喧嘩になるときはたいていそれを過信した結果ちょっとしたズレが大きく響いていることが多い。分かってるつもりのことをじっくり聞き直してみると、大体合ってる、でも微妙にニュアンスが違うということに気づいて、たいていこっち謝る。

閑話休題

嫌われたくないコミュニケーション

根っこは同じなのかもしれないけど、もう一つ自分が陥っているのが、嫌われたくないコミュニケーション現象。

コミュニケーションは手段だって、自分でどこかに書いたんだけど、萎縮しきった結果、伝達からご機嫌伺いに目的が入れ替わっている。

察してコミュニケーションになってしまうのは、相手が怖いから。仕事で貢献できない以上、他のところで嫌われたくないという気持ちが強く出過ぎると、つい相手の顔色を伺うコミュニケーションになってしまう。

ちょうど読み返してた漫画「かげきしょうじょ」で、相手に謝るときに、相手に許してもらおうと思ってはいけないよという話が出てきてハッとした。相手に嫌われるかもしれなくても、伝えたいと思ったことをきちんと伝えることが大事だと。

初見のときには、そうそう、そうなんだよーとしか思わなかったんだけど、転職してからの自分があまりにできてなかったのもあって、今回は特にぐさっときました。

色んなことが連動しているから、プライベートと同じようにすぐさまそういう誠実なコミュニケーションができるとは限らないけど、まず理想形を把握して日々見つめ直すことから始めようかな。

最近になって、ちょっとずつ周りの人達が何を考えているどういう人なのかが見えてきている気がする。Tさんとか、めちゃくちゃ怖い人かと思ったけど、あの人はあの人で結構不器用で、自分の信じるやり方があって、でも他の人への思いやりもある素敵な人だ。

自分は嫌われないという安心感が少しずつ生まれてきたら、いろんな問題が解決するだろうとは思う。ただそれも、自他の問題を切り分けてみればそう簡単に実現しないことがわかるので、次善策を取りつつ自分の問題を解決していかなきゃね。

最後に

文章を書いてみると、こんなことが書きたかったのかな?とか思ったりもする。コミュニケーションについて書きたかったことが2つあったんだけど、この2つであってるんだっけ?とか。

まあでも今回まとめたとおり、アウトプットすることがまずは大事だから。Evernoteに書くよりはネットの海に流す。それがこのブログを作った理由なので。

今日もポエムを流していくぜ。

最近のメモ

  • ゆるキャンは何回見ても脳が溶ける。新刊でたのでアニメ再視聴中。
  • ブルーピリオドがめっちゃ面白い。でもあらすじがクソ。主人公の紹介にいらっとしかしなかったので手を出すのが遅れた。どこかで冷めてて報われない感をもちつつ周りに流されてる主人公がやっと本気になれるものを見つける話なんだよね。
  • バランスボールに座っても肩はこる。
  • ゼノブレイド2が終わった。そのうちなんか書くかな?どうかな?ヒカリが可愛すぎて2週目の追加要素へのモチベがない。
  • 水上悟志さんの漫画は、なんだろうな、あの面白さを、手放しに面白いと言ってしまっていいのか迷うんだよね。ベタを通り越してちょっとダサい、多分一級品の芸術家的センスではない、でもなんだろう、超王道で面白いんだよね。丸い面白さ。いつかもうちょっときちんと書けたらいいな。

ブルーピリオド コミック 1-3巻セット

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Xenoblade2 (ゼノブレイド2) - Switch

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ちゃんと個別の記事書きたいなー。

転職活動って苦しい

あんまり書くと身バレしそうだけど(別にしてもいいけど)、僕は前職で人材系の会社にいた。

最近のエンジニアの転職の流行りでは、多分Githubとかでバンバン活動して、勉強会とかで友達のネットワークを作ったりして、引き抜きの話にのってヒョイッと転職してしまったりするんだろう(偏見)。

僕自身は、SNS、というかネット上での知らない人とのコミュニケーション全般が全く出来ない(知ってる人ともできない)ので、そういう流行りに乗った転職活動はできなかった。

なので、おとなしく人材紹介、いわゆるエージェントに相談をして転職活動をしてみた。

エージェントは、ちょっと頼りないところもあったがとてもいい人で、もちろん仕事上の献身ではあるのだが僕のキャリアや人格というものをとても大切にして接してくれた。(エージェントさんの会社へのお誘いをやんわり断ったのを僕はずっと気に病んでいる)

ただ、片手で数えるほどの友人やそのまた友人から良いお話をいただくことはあって、エージェントを介さない応募の仕方というのもゼロではなかった。

これが辛い!まーじで辛い!びっくりするぐらい!

僕は新卒の就活でも、自分がどう思われるのかが気になりすぎてESがかけず、自分が他の人より秀でているところなんて一つも言えず(だって世界中見渡せば自分よりすごいやつしかいないし)、スーツ着た就活生がジョブズのポーズを取ってるマイナビの気持ち悪いポスターにケチをつけながら自分は引きこもって逃げた(そしてニートになった)人間なので、社会に出て多少自尊心を得たとはいえやっぱり応募書類を出して評価され、裁かれるというのはかなりしんどい。

自分の応募書類を見て魅力的な人間だなんてこれっぽっちも思えない。かといって付け焼き刃でGithubのアカウントを作ってみても何を置いていいか分からない。不安の上に自己PRを重ねて職歴書はどんどん長くなった。「不安が悪文を作るんだよ」ってスティーブン・キングがドヤ顔で(はないかもしれないけど)言ってたのに、僕は全然学習してない。

とはいえ、ここで引きこもっては新卒の過ちを繰り返すだけだ。 昔読んだ本に「森田療法講談社新書)」という不安神経症に関する名著があって、超要約すると「不安を感じるのは仕方ない、すぐには消せないものだ、ただ不安を感じながらもどうしたいのかを考えて実行することが大切だ」ということが書かれていて、頑張れそうなときにはそれを意識するようにしている。今回もその教えにしたがって、不安でねじ切れそうになりながら自己書類を提出した。

森田療法 (講談社現代新書)

森田療法 (講談社現代新書)

こうして今は、その裁判の結果を待つ身である。

そして僕は思った。

転職活動で、行きたいと本当に思うところに応募するのは、愛の告白と一緒なんだと。

たまたま今回、エージェントにお願いした求人にも、友達からの紹介で受けた求人にも、どちらにも第一志望級の求人があったのだが、

エージェント通すとすげー楽!

でもそりゃそうなのよ。だって、

エージェントって要するに、友達が「あいつのことどう思う?」って先に探り入れてくれるのと同じだもん。

そりゃーなー。楽ですわ。利用者はいますよね。

次もし転職するときには、エージェントに頼らなくても動ける人間になっていたいと思っていた。一応スキルアップ目標的な意味ではそうだが、今後絶対頼らずいけるかというと、やっぱりちょっと自信はないのであった。

...こんなしょうもない気付き(というか構造から何から同じだから類推ですらない、トートロジーに限りなく近い)のために記事を連投してしまった。。

夜も更けてきましたね。おやすみなさい。

次はもっとましなこと書くんだ。。

転職活動も終盤になって突然ブログを始める

当方アラサーエンジニア。エンジニアとは言っても、独学から始めて3年弱しかコードを書いてない。

4年勤めた会社を退職して、転職活動がてら、もうちょっと自分のエンジニアとしてのネット習慣を見直そうと思っていたが、ダラダラと無為に過ごしているうちに内定が出てしまった。

Facebookで昔の知り合いに友達申請して人脈の確認したり(大学からの友達で自信を持ってこちらから連絡を取れるのなんか片手もいない)、

Githubに勉強中のソースコードを上げたり(そのソース自体もこれから作る予定だったというからお笑いである)、

Qiitaに自分の知ってるRailsのマイナーなつっかえポイントを書いてみたり(ぶちあたった当時書いておけばよかったのに、今から探すのはかなり大変だろう)、

とにかく色々やらなければ自分のしょぼい経歴では内定なんか出ないだろうと思っていた(思いつつダラダラしていたのでタチが悪い)のが、こんなにすんなり希望する企業から内定を頂いてしまうとは。恐縮するやらありがたいやらである。

じゃあもう、考えていた色々はやらなくていいのかと一安心したところで、逆にじゃあなんかやってやろう、しかも就活気にしないでできるんだったら特に意味のないことをやってやろうという気力が湧いてきた。正確に言うと、一度完全リフレッシュのため人間の屑レベルまで生産性を落としていたので、ちょっと生産的な活動をしてみたくなったのだ。

多分3日坊主で終わるし、この記事に流入があるとは到底思えないし、本当は今まで読んだ本に書いてあったことを引用とかしつつAmazonアソシエイトのリンク貼ったりしたかったのだが、色々不完全である。

ただ、一番の目的は、今までEvernoteとかになんとなく書いてた自分の思考を、せっかく書くならネットの海にドバーッと流してやって、変なキーワードで検索した誰かがたまたま目にしてくれたりしたら、自分の生きてる意味が一つ増えるんじゃないかと思ったからだ。

実際、僕はついさっき「SNS 苦手」みたいな何を聞きたいのかよく分からないキーワードでGoogle検索したら、なんとなく波長の合う人のブログを見つけて少し幸せな気持ちになったりしたのである。

僕が、ごく個人的な感情を吐露することで、誰かが別に深刻でもない悩みをなんとなくGoogle先生に相談してて、ついうっかり僕の記事に流れ着いてしまう。

いいんじゃない?そういうの。

というわけで、タイトルとは裏腹に転職とは何も関係ないブログが始まります。